※アンケートにも回答いただいていますが、中井さんから気持ちをメールで送ってくれましたのでそちらの内容を紹介します。
約10年前、上司である主任のパワハラで病気を発症しました。
発病当初は、心療内科に通っていることを恥ずかしいと考え、また妻が妊娠中だったこともあり、課長以外の周囲の人達に隠していました。
打ち明けたのは、ある程度病状が進行してからです。
妻をはじめ、家族、同僚、上司、いずれも理解してくれる人はいませんでした。
例えば、次のような言葉を受けました。
妻:「本当に病気なの?もしそうだとしても、病気になったのは私のせいではない」
妻の親族:「家族がいるのだから、甘えるな」
同僚:「会社が嫌なら転職すればいい」
支店長:「主任を代える予定はない。嫌なら辞めろ」
・・等々です。パワハラという言葉がなかった頃です。
いずれも私の心には絶望感が累積していきました。
会社を休職するとき、妻からは、
「今後の暮らしはどうするの?男は稼いでこそ価値がある。稼げない夫と一緒にいる意味はない。自殺してもいいよ。保険金で生活するから」と言われました。
以降、妻とは衝突ばかり繰り返し、病気について話し合えたことはありませんでした。
生活のため、完治しないまま転勤して復職しました。
転属先でも理解は得られず、病状が悪化していったのは初見でお話しした通りです。
Q1 依頼前の悩み
病気退職した後、失業手当で生活していました。
この手当が無くなった後、生活するお金について独り悩んでいました。
障害年金については、職安の事務員から、障害者手帳の取得を勧められたことがきっかけで知りました。
Q2 御社を知ったきっかけ
インターネットで調べたところ、障害年金の手続きを代行するサービスがあることを知りました。
社労士によって値段やサービス内容に差があり、誰に依頼しようか迷っていました。
その中で、宮里様のホームページに行き当たりました。
Q3 すぐに依頼しようとしたかどうか
叔父に社労士の依頼について相談したところ、生活のかかっている手続きで第三者に任せるのは危ないと助言されました。
叔父の助言はもっともであり、社労士に依頼することにためらいがありました。
Q4 依頼した決め手
幾人かの社労士とメールでやりとりしたり、面会したりしました。
いずれの社労士も、病状を詳しく聞いてこなかったり、
面会時間が遅い上に待たされたりして、不安要素がありました。
そんな中で、宮里様の「魔法の靴」というコンテンツを数日かけて視聴しました。
私の心配していた、手続き上の精神的・体力的負担について細かく掲載されていました。
宮里様の依頼を決めたのは、実際にお会いした時になります。
まず、私の体調について何度も確認・心配してくれました。
また、年金事務所の相談員よりも詳しい説明を聞くことができました。
ここで、訴求請求と同時に事後重症請求で年金を受け取れることを知りました。
そして、今後起こりうる困難について、包み隠さず教えてくれました。
宮里様は信頼できると考え、その場で依頼することにしました。
Q5 実際に依頼して
他の社労士は、「私達に安心して丸投げしてください」という態度で却って不安でした。
ところが宮里様は、依頼人と協力して「正しい等級で」年金を受けるという姿勢で仕事をされていました。
実際に、私の不用意な発言や行動で、等級が低くなったり
不支給となったり恐れがありました。
いずれも宮里様に助言していただき、回避することができました。
いつの間にか私は、役所の福祉窓口や病院のPSWよりも先に宮里様に相談するようになっていました。
結果、訴求3級、事後重症2級となり、当面の生活費を確保することができました。
依頼して良かったと心から感謝しています。
Q6 その他
私の周囲には、理解者や相談者はいませんでした。
宮里様が、私のために年金事務所等で交渉をしていただいていると思うだけで、生活の励みになりました。
妻から言われた「自殺してもいいよ」という言葉は、今でも頭の隅にあります。
私は、生活費すら稼げない、生きる価値のない人間と思っていました。
以前、どなたかのコメントで、「診断書を書いてくれないなら自殺してやる」と言って取り乱してしまった方がみえました。
その方の気持ちは、私にもわかる気がします。
今回、障害年金の受給を通じて、また宮里様のサポートを通じて、こんな私でも生きていていいんだと思えるようになりました。
これを機会に療養に専念し、いずれは障害者枠で就労したいと考えています。